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【カヤ日記②】「カヤの木に思いを寄せて」

 

昨年の12月27日に

暴風でカヤの大枝が折れてから、

あっという間の2ヶ月でした。

 

折れた枝は

お隣の家のプレハブの屋根と壁を壊し、

道路をふさぎ、

クレーン車も出動してのちょっとした事件でした。

 

はじめは何とか生かせないものかと

専門家の方に見ていただきました。

でも、どの方の見立ても

「芯が傷んでいて、木の寿命を迎えつつある」

とのこと。

 

「半分伐って延命できないことはないけれど、
また折れる可能性がある。」

 
「木の重心がずれて本宅に向かっているから
次に折れたら大変なことになる。」

 

「近い将来、元から伐ることになる。
そうしたらさらに木も傷むし、
トータルの伐採経費も2倍かかってしまう」

 

大風や大雪のたびにハラハラすることは想像できました。

私たち家族の心の負担にもなることがわかり、

ついに伐採をお願いすることに決めました。

 

決まったときは、

カヤを失うことが悲しくて淋しくて…

 

でも。

 

背中を押してくれたのは、

松本市の原薫さんの言葉でした。

 

「伐ることでも、木を生かすことができるんだよ」

 

薫さんは、私にとって素敵な人生の先輩。

女性ながら柳沢林業という会社を営んでいます。

 

先日の日曜日の呼びかけにも

とてもいいメッセージをいただいたので、

ご本人の了解を得てここで紹介させていただきます。

 

以下、原薫さんからのメッセージ。

 

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永子ちゃん

カヤの木に思いを寄せて。

私は木をいかしたいという気持ちで
ずっと林業に従事してきました。

木を伐るときは、
最後を託されたのだという気持ちで
向き合います。

木もいのちある存在。
いつかはその寿命を迎えます。

でも木がすごいのは
樹木として生命を終えても
材木として第二の人生を送ることができるということ。

ただそれを可能にするのは
われわれ人間の知恵と技があってのこと。

人間は他の命をいただかないと生きてはいかれないわけですが、
でもそこには生かし生かされるという関係があるのも確か。

これこそが日本人が世界に伝えるべき
「自然(じねん)」という概念?感覚?なんだと
思ってます。

 

集まったみんなが喜べば、カヤも喜んでくれるでしょう。
あの空間が愛で包まれますように。

そして伐採作業の無事をお祈りいたします。

 

かおる

 

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とても心に沁みました。

 

よく考えてみたら、

うちの古民家や道具だって沢山の木が使われています。

木が生まれてから、何百年活躍していることか!

 

その木を植えてくれた人、

大切に育ててくれた人がいたこと。

その木を伐ったり、

材木として生かしてくれた職人さんたちの

知恵と技があったこと。

 

木と人は生かし生かされる関係なんだということを

今、しみじみと実感しています。

 

カヤの木の長い長い命の中で、

先祖が代々紡いできた暮らしのしっぽで、

いま私にできることは何だろう…?

 

もうすぐカヤの木の命は終わりますが、

「木材としての第二の命を生かしたい!」

今はそんな気持ちでいっぱいです。

 

とりあえずの願いは、

大切に使ってくれる方たちのもとで

カヤが愛され

暮らしに役立ち

また末永く生かされますように。

 

カヤと先人たちに、感謝を込めて。

背中を押してくれた薫さんにも、

ありがとうございます。